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最高裁判所第三小法廷 平成6年(オ)456号 判決 1997年2月25日

上告人

株式会社コマスポーツ

右代表者代表取締役

荒井喜源

上告人

キング・スイミング株式会社

右代表者代表取締役

河合輝昭

右両名訴訟代理人弁護士

須藤英章

関根稔

被上告人

キング株式会社

右代表者代表取締役

吉川恭男

右訴訟代理人弁護士

森田太三

主文

原判決中、上告人ら敗訴の部分を破棄し、同部分につき第一審判決を取り消す。

前項の部分に係る被上告人の請求をいずれも棄却する。

訴訟の総費用は被上告人の負担とする。

理由

上告人代理人須藤英章、同関根稔の上告理由について

一  被上告人の本訴請求は、上告人らに対し、(一) 主位的に本件建物の転貸借契約に基づいて昭和六三年一二月一日から平成三年一〇月一五日までの転借料合計一億三一一〇万円の支払を求め、(二) 予備的に不当利得を原因として同額の支払を求めるものであるところ、原審の適法に確定した事実関係は、次のとおりである。

1  被上告人は、本件建物を所有者である訴外有限会社田中一商事から賃借し、同会社の承諾を得て、これを上告人キング・スイミング株式会社に転貸していた。上告人株式会社コマスポーツは、上告人キング・スイミング株式会社と共同して本件建物でスイミングスクールを営業していたが、その後、同会社と実質的に一体化して本件建物の転借人となった。

2  被上告人(賃借人)が訴外会社(賃貸人)に対する昭和六一年五月分以降の賃料の支払を怠ったため、訴外会社は、被上告人に対し、昭和六二年一月三一日までに未払賃料を支払うよう催告するとともに、同日までに支払のないときは賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。しかるに、被上告人が同日までに未払賃料を支払わなかったので、賃貸借契約は同日限り解除により終了した。

3  訴外会社は、昭和六二年二月二五日、上告人ら(転借人)及び被上告人(賃借人)に対して本件建物の明渡し等を求める訴訟を提起した。

4  上告人らは、昭和六三年一二月一日以降、被上告人に対して本件建物の転借料の支払をしなかった。

5  平成三年六月一二日、前記訴訟につき訴外会社の上告人ら及び被上告人に対する本件建物の明渡請求を認容する旨の第一審判決が言い渡され、右判決のうち上告人らに関する部分は、控訴がなく確定した。

訴外会社は平成三年一〇月一五日、右確定判決に基づく強制執行により上告人らから本件建物の明渡しを受けた。

二  原審は、右事実関係の下において、訴外会社と被上告人との間の賃貸借契約が被上告人の債務不履行により解除されても、被上告人と上告人らとの間の転貸借は終了せず、上告人らは現に本件建物の使用収益を継続している限り転借料の支払義務を免れないとして、主位的請求に係る転借料債権の発生を認め、上告人らの相殺の抗弁を一部認めて、被上告人の主位的請求を右相殺後の残額の限度で認容した。

三  しかしながら、主位的請求に係る転借料債権の発生を認めた原審の判断は、是認することができない。その理由は、次のとおりである。

賃貸人の承諾のある転貸借においては、転借人が目的物の使用収益につき賃貸人に対抗し得る権原(転借権)を有することが重要であり、転貸人が、自らの債務不履行により賃貸借契約を解除され、転借人が転借権を賃貸人に対抗し得ない事態を招くことは、転借人に対して目的物を使用収益させる債務の履行を怠るものにほかならない。そして、賃貸借契約が転貸人の債務不履行を理由とする解除により終了した場合において、賃貸人が転借人に対して直接目的物の返還を請求したときは、転借人は賃貸人に対し、目的物の返還義務を負うとともに、遅くとも右返還請求を受けた時点から返還義務を履行するまでの間の目的物の使用収益について、不法行為による損害賠償義務又は不当利得返還義務を免れないこととなる。他方、賃貸人が転借人に直接目的物の返還を請求するに至った以上、転貸人が賃貸人との間で再び賃貸借契約を締結するなどして、転借人が賃貸人に転借権を対抗し得る状態を回復することは、もはや期待し得ないものというほかはなく、転貸人の転借人に対する債務は、社会通念及び取引観念に照らして履行不能というべきである。したがって、賃貸借契約が転貸人の債務不履行を理由とする解除により終了した場合、賃貸人の承諾のある転貸借は、原則として、賃貸人が転借人に対して目的物の返還を請求した時に、転貸人の転借人に対する債務の履行不能により終了すると解するのが相当である。

これを本件についてみると、前記事実関係によれば、訴外会社と被上告人との間の賃貸借契約は昭和六二年一月三一日、被上告人の債務不履行を理由とする解除により終了し、訴外会社は同年二月二五日、訴訟を提起して上告人らに対して本件建物の明渡しを請求したというのであるから、被上告人と上告人らとの間の転貸借は、昭和六三年一二月一日の時点では、既に被上告人の債務の履行不能により終了していたことが明らかであり、同日以降の転借料の支払を求める被上告人の主位的請求は、上告人らの相殺の抗弁につき判断するまでもなく、失当というべきである。右と異なる原審の判断には、賃貸借契約が転貸人の債務不履行を理由とする解除により終了した場合の転貸借の帰趨につき法律の解釈適用を誤った違法があり、右違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。この点をいう論旨は理由があり、原判決中、上告人ら敗訴の部分は破棄を免れず、右部分につき第一審判決を取り消して、被上告人の主位的請求を棄却すべきである。また、前記事実関係の下においては、不当利得を原因とする被上告人の予備的請求も理由のないことが明らかであるから、失当として棄却すべきである。

よって、民訴法四〇八条、三九六条、三八六条、九六条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官可部恒雄 裁判官園部逸夫 裁判官大野正男 裁判官千種秀夫 裁判官尾崎行信)

上告代理人須藤英章、同関根稔の上告理由

第一点 原判決は最高裁昭和三六年一二月二一日第一小法廷判決(民集一五巻一二号三二四三頁)、大審院昭和一〇年一一月一八日判決(民集一四巻二〇号一八四五頁)に反する。

一 原審が認定した事実は次の通りである。

(1) 有限会社田中一商事は所有建物を被上告人に賃貸し、被上告人はこれを上告人キング・スイミング株式会社及び同株式会社コマスポーツに転貸していた。

(2) ところが、被上告人が賃料の支払いを怠ったため、昭和六二年一月三一日、有限会社田中一商事は被上告人との建物賃貸借契約を解除した。

(3) その後、昭和六二年二月二五日には有限会社田中一商事から上告人及び被上告人に対する建物明渡しと賃料相当損害金の支払いを求める訴えが提起され、昭和六三年一二月二〇日には本件建物についての執行官保管の仮処分の執行を受けるとの経過を経て、結局、上告人キング・スイミング株式会社及び同株式会社コマスポーツは、平成三年一〇月一五日に建物明渡しの強制執行を受けたうえ、平成三年一〇月二一日以降三回に分け、賃料相当の損害金を支払うことになった。

二 このような事実関係の下において、被上告人が本件訴訟で請求するのは、建物賃貸借契約が解除された日の後の日である昭和六三年一二月一日から、強制執行による明渡し日までの転貸料の支払いである。

つまり、本件訴訟の争点は、賃貸借契約が賃借人(転貸人)の債務不履行によって解除され、明け渡し訴訟を提起され、執行官保管の仮処分を受けた後についても、転借人は転貸人に対して転借料の支払義務を負うのか……というところにある。

三 そして、上告人(転借人)は、このような場合には転借料の支払義務は発生しないとして、次のように判示する最高裁昭和三六年一二月二一日第一小法廷判決(民集一五巻一二号三二四三頁)を引用した。

『およそ賃借人がその債務の不履行により賃貸人から賃貸借契約を解除されたときは、賃貸借契約の終了と同時に転貸借契約も、その履行不能により当然終了するものと解するを相当とする。』

つまり、転貸借契約が当然に終了する以上は、転借料の支払義務が発生することはあり得ないとの主張である。

四 ところが、原判決は最高裁判決を次のように限定的に解釈して上告人の主張を排斥した。

『しかし、右判決は、原告が、土地の所有権に基づき、当該土地の占有者である被告に対してその明渡を求めたところ、被告が右土地については、原告と訴外人との間に賃貸借契約があり、訴外人と被告との間に転貸借契約があることを抗弁として主張した事案において、右抗弁を排斥する理由として前記のとおり判示したものであって、転借料の支払義務を否定したものではないので、右判決をもって、控訴人らの施設使用料の支払義務を否定する根拠とすることはできないというべきである。』

五 確かに、右最高裁判決は、所有者の転借人に対する明渡請求の可否について判断したものであり、転借料の支払義務について判断したものではない。しかし、それだけのことなら、最高裁は、賃貸借契約が解除された場合は転借人は転借権をもって所有者に対抗することができないとのみ判断すればよかったわけであって、ここで尊重されるべきは、最高裁判決が示した賃貸借契約と転貸借契約との関係である。

最高裁判決は、賃貸借契約が賃借人の債務不履行により解除されたときは、転貸借契約も履行不能により当然に終了すると判示しているわけである。

賃貸借契約と転貸借契約の関係をこのように理解するとすれば、最高裁判決が判断するところは、本件事案そのものである。転貸借契約が当然に終了するにもかかわらず、転借料の支払義務が存続し続けるなどという理屈はあり得ない。

六 なお、右最高裁判決について最高裁判所判例解説(民事編昭和三六年度四七三頁)は次のように評釈している。

『履行不能とは必ずしも、物理的、論理的に不能である要はなく、社会通念一般取引の観念に基きこれを決すべきことについては、既に通説の認めるところであり、賃貸借の解除を前提として賃貸人が物件の引渡請求をしている案件を考えるにあたり、右判決(大審院昭和一〇年一一月一八日判決)のごとく、賃貸借の終了により直ちに転借人に対する義務に履行不能を生ずると理解することは、是認できるのではないか。従って、本判決が本件につき右の理解をそのまま支持した点も肯認できると思う。』

七 右大審院昭和一〇年一一月一八日判決(民集一四巻二〇号一八四五頁)は次のように判示している。

『上告人ト吉田間ノ賃借終了後ニ於テハ被上告人ト阪部間ノ賃貸借ハ之ヲ上告人ニ対抗スルコトヲ得サルニ至ル結果上告人ヨリ返還請求アリハ阪部ハ之ヲ拒否スヘキ理由ヲ有セス之ニ応セサルヘカラサルカ為被上告人トシテハ賃貸人トシテノ義務ヲ履行スルコト不能トナリ其ノ結果トシテ其ノ間ノ転貸借ハ終了ニ帰スルモノト謂ワサルヘカラス。』

八 さらに、右評釈は、履行不能の意味内容について次のような理論を引用している。なお、右評釈は契約解除の要否について検討しているが、上告人が平成四年一二月一四日の口頭弁論期日において、被上告人の債務不履行を理由に本件転貸借契約を解除する旨の意思表示をしたことについては争いがない。

『かかる継続的債権関係においては、履行後の後発的な全部不能と雖も、将来に向かっての関係では原始的不能となり、その法律関係を成立不能ならしめ、右全部不能事由の発生後は全契約関係が当然終了に帰すると説明する。』

九 最高裁昭和四五年一二月二四日判決(民集二四巻一三号二二七一頁)は、土地賃貸借が賃借人の債務不履行により解除された場合と借地上の建物の賃貸借の帰趨について、『土地の賃借人がその地上に所有する建物を他人に賃貸した場合において、土地賃貸借と建物賃貸借とは別個の契約関係であるから、前者の終了が当然に後者の終了を来たすものではない』と判示したものであるが、この判決と前掲の最高裁昭和三六年一二月二一日判決との関係について、最高裁判所判例解説(民事編昭和四五年度八七四頁)は次のように説いている。

『転貸借は、当初から原賃貸借の効力の範囲でのみ存続することを予定して締結されるものであるとみるならば、転貸借が原賃貸借の有効な存在を前提とするのは論理必然的であり直接的な関係とみられるのに対し、建物賃貸借が土地賃貸借の存在を前提とするのは、たまたま建物が借地上に存在し、建物の存立のために借地権の存在が必要であるためにすぎず、両者の関係は事実的もしくは間接的なものにすぎないという点に、差異を認めることもできよう』

一〇 以上、『賃借人がその債務の不履行により賃貸人から賃貸借契約を解除されたときは、賃貸借契約の終了と同時に転貸借契約も、その履行不能により当然終了するものと解するを相当とする』とするのが、最高裁判決が示す結論であり、これは判例評釈、学説等によって支持されているところである。

本判決には、賃貸借契約と転貸借契約の基礎理論を理解せず、最高裁判決を限定的に解釈した誤りがある。

第二点 原判決には賃貸借契約についての法令解釈の誤りがある。

一 原判決は賃貸契約と転貸借契約の関係について次のように判示している。

『委託者(賃貸人)である被控訴人が目的物である本件施設を使用させる(賃貸する)権限を有しない場合であっても、被控訴人と控訴人らとの間の業務委託契約(賃貸借契約)そのものは有効に成立し得るものであるから、本件建物の所有者である訴外会社と被控訴人との間の本件建物の賃貸借契約が被控訴人の債務不履行により解除された場合においても、受託者(賃借人)である控訴人らは、現に右業務委託契約に基づく本件施設の使用収益を継続している限り、右業務委託契約に定められた施設使用料(賃料)の支払義務を免れることはできないと解するのが相当である。』

二 確かに、原判決が判示するように、賃貸人が目的物を賃貸する権限を有しない場合であっても、賃貸人と賃借人との間の賃貸借契約は有効に成立する。これは他人の物の売買であっても同様である。

しかし、権限を有しない者が締結した賃貸借契約が債権契約として有効であり、あるいは、他人の物について締結された売買契約が債権契約として有効であることと、これが履行可能であることとは別の問題である。売買契約について売主が所有権を買主に移転する義務を負うのと同じく、賃貸借契約について賃貸人は正当な占有権限を賃借人に引き渡す義務がある。これが履行されない限り、売買契約は履行されたことにはならないし、また、賃貸借契約が履行されたことにもならないはずである。そして、賃貸人が提供すべき占有は正当な権限に基づくものであることが必要である。ところが、本件で提供されたのは、所有者に対抗できない、不法占有である。

三 貸主が提供すべき占有が所有者に対する関係でも正当なものでなければならないことについては次のような一連の判決がある。

(1) 賃貸借契約は有償双務契約であるから、貸主たる控訴人は借主たる被控訴人に対し完全な履行の提供をしない限りこれを遅滞に附することはできない筋合であるところ、前記二ないし四において判断したとおり、控訴人は被控訴人をして所有者に対抗できる使用収益権原を取得させることができなかったものである(すなわち被控訴人は所有者に対する関係ではあくまで不法占有者に該り、妨害排除請求による明渡義務を負担し、且つ賃料相当の損害金を支払う義務をも負担している)から、斯る場合には貸主として未だ完全な履行の提供をしたものとは認められない(昭和三八年四月二日東京地裁判決 判例時報三四八号二九頁)。

(2) 賃借物について他人が所有権その他の権利を有し、賃借人が事故の賃借権を以て右の権利者に対抗できず、これがためにその賃借物の占有を失った場合は勿論、たとえ占有を保持していても、その占有の正当性が否定され、(即ち客観的にも他人の権利の目的物の不法占有であり)、既往の占有の利益について正当な所有者その他の権利者から利得の回収、損害の賠償を要求され、右利益の喪失を来すかゝる要求に応ぜざるを得ない正当の理由があるときには、賃貸人の付与した使用収益の権能は瑕疵のあるものであり、その瑕疵が全面的に亘る場合には、契約の履行については、その完全な履行がなかったものと見るべきであって……賃貸借が債権契約としてなお存続し、右のような場合においても賃借人は賃貸人に対する使用収益請求権を失わないということと、賃貸人の債務が完全に履行されていないこととは別の事柄であって、賃貸人が既往の瑕疵ある使用収益権能の付与に対応する賃料を無条件に請求できるか否かの問題は、後者の問題としてのみ判断されなければならない。そして、右瑕疵の原因が賃貸人の行為に存する場合は、賃貸人の責に帰するべき債務不履行としての効果を受くべきことはいうまでもない……控訴人の賃貸人としての債務は、控訴人の帰責事由によりその履行が甚だしく不完全であり、結果においては全く履行されなかったものと同視せられるか、又は履行の外形はあっても、その効果は全く覆滅せられたものと解するの外はなく、いずれにせよその債務は不履行のものと見るべきで、右は双務契約の性質上、反対給付たる賃料支払義務を拒否し得る事由となるものというべきである(昭和三八年九月一九日大阪高裁判決 判例時報三五九号二五頁)。

(3) 転借人が悪意となれば右転借人は所有者に対し其の直接占有によって得た使用利益或は収益を返還しなければならない。此の場合転借人は転貸人に対して尚賃料支払の責に任ずる事は明に転借人に対して苛酷且つ不情理であるのみならず転貸人及び所有者との関係より見ても不必要且つ不情理である。何故なれば転貸人は転借人より賃料の支払を受けても之を所有者に返還しなければならず、所有者は転借人から使用利得乃至収益の返還を受ければ足り間接占有者たる賃借人(転貸人)より更に二重に之れが返還を求め得べき理由はないからである。従って此の場合は転貸人と賃借人間の賃貸借は其の存続を認むべき理由が全くないのであるから消滅すると解しなければならない。之は転借人が所有者から使用利益返還債務の免除を受けても変りはない(昭和三二年一〇月二九日東京地裁判決 判例時報一三五号二四頁)。

(4) 孫基元から本件店舗の明渡と賃料相当損害金の支払を請求された昭和五七年一一月末日ころ以後は、原告において本件店舗を使用収益する賃借権を主張することができなくなるおそれが生じたものであるから、原告は被告に対する賃料の支払を拒絶することができたものである。よって被告が、昭和五七年一二月から昭和五八年九月までの一〇カ月分合計一〇〇万円の未払賃料につき、これを敷金から控除すべきである旨主張するのは、理由がない(昭和六一年四月一八日京都地裁判決判例タイムズ六一一号七一頁)

四 原判決は、『業務委託契約に基づく本件施設の使用収益を継続している』と判示するが、有限会社田中一商事と被上告人との間の賃貸借契約が解除された後に、上告人が本件建物を業務委託契約に基づいて使用したことはない。上告人が行っていたのは何等の権限のない不法占有である。

賃借人が賃料の支払いを怠り、賃貸借契約を解除されれば、その後、明渡請求訴訟が提起されなくとも、また、その判決に基づく強制執行手続が行われなくても、賃借人の占有は、賃貸借契約が解除された日から不法占有になる。とすれば、賃借人の占有権限に基づいて行われていた転借人の占有も、また、賃貸借契約が解除された日から不法占有になるはずである。賃借人は不法占有者であるが、転借人は業務委託契約に基づく正当な占有者であるというような理屈は成立しようがない。

五 原判決は、最高裁昭和五〇年四月二五日第二小法廷判決(民集二九巻四号五五六頁)を含む右一連の判決を、所有者と賃貸人への二重の賃料支払いを防ぐための抗弁権を認めたものにすぎないと理解するようである。しかし、そうであるなら、『二重払いの危険を避けるため』と判示すれば良いのであって、『所有者に対する関係ではあくまで不法占有者に該り、妨害排除請求による明渡義務を負担し、且つ賃料相当の損害金を支払う義務をも負担しているから、斯る場合には貸主として未だ完全な履行の提供をしたものとは認められない』『債務は不履行のものと見るべきで、右は双務契約の性質上、反対給付たる賃料支払義務を拒否し得る事由となるものというべきである』『此の場合は転貸人と転借人間の賃貸借は其の存続を認むべき理由が全くないのであるから消滅すると解しなければならない。之は転借人が所有者から使用利益返還債務の免除を受けても変りはない』というように、賃貸人の履行義務について説示する必要はないわけである。

六 また、原判決は、『控訴人らが訴外会社から右権限の喪失を理由として損害賠償請求を受け、損害金を支払った場合には、占有使用自体を行うことができたとしても、一種の不完全履行となり、右損害金について、被控訴人に対し損害賠償を求めることができると解すべきである』とも判示している。

しかし、占有権限のない賃貸を不完全履行だというのであれば、上告人が東京駅を第三者に賃貸するのも不完全履行ということになってしまう。上告人は、賃料から、賃借人がJR東日本に支払うことになった不法占拠についての損害金を差し引いたもの……JR東日本からの請求がないときは賃料の全額……を、賃借人に対して請求できることになってしまう。原判決は、東京駅について何等の使用権限のない上告人が行なった賃貸を、履行不能ではなく、不完全履行だというのだろうか。

七 原判決は、「権限を有しない場合でも賃貸借契約は有効に成立し得る」との債権的な契約の問題と、「権限を有しなければ正当な占有権限を提供するとの賃貸義務を履行することができない」との物権的な問題を混同してしまっている。

本件では転貸人は自らの占有権限を失い、従って、転借人に対し正当な占有を提供することができなくなったわけである。自ら使用する権限を失った者が、他人に対しては使用させ得るとの理解は、論理に矛盾がある。そして、一方に対し債務を不履行し、不法占有者になった転貸人が、他方に対しては債務の履行を請求する正当な占有者として振る舞う。このような理解は著しく常識に反する。仮に、賃貸借契約が解除された後も、債権契約としての転貸借契約の効力は失われないとしても、その転貸借契約に基づく転貸人の義務が履行されていないことは明白である。所有者との関係で不法占有になり、明渡請求訴訟を提起されながらの占有が、転貸借契約に基づき提供された占有とは思えないからである。

八 第三者から明け渡しを求められた賃借人の賃料支払拒絶権について判断した最高裁昭和五〇年四月二五日判決(民集二九巻四号五五六頁)について、評釈(最高裁判所判例解説 民事編昭和五〇年度一九六頁)は次のように述べている。

『賃貸借における賃貸人の目的物を使用収益させる義務とは、単に目的物の事実上の使用を可能とすることだけにとどまるものではなく、その使用によって賃借人が第三者に対する不当利得返還義務ないし不法行為責任を負うことがないようにすることをも含む。』

まさに、本件では、右の賃貸人の義務が履行されなかった事例に当たるわけである。

九 仮に、賃貸借契約が成立した以上は、賃貸人の賃貸権限が消滅し、賃借人の占有が不法占有になった場合でも、賃料支払義務は消滅しないと理解するのであれば、次のような事案についても賃料支払義務を認めることになる。しかし、このような理解は、法律関係を徒に複雑にするだけである。

(1) 建物所有者である賃貸人が、賃貸建物を第三者に譲渡してしまった場合である。この場合でも、旧所有者は賃料請求権を持ち続けることになる。この場合について、賃貸人の地位も買主に移転するので、旧所有者の賃貸人たる地位が失われる。だから、本件とは事案が異なると理解するのであれば、次の(2)のような場合である。

(2) 賃貸建物について競売が申し立てられ、競落によって賃貸人の建物所有権が失われた場合で、かつ、抵当権設定時期が賃貸借契約の時期に先行する等、賃借人が競落人に対抗できない場合である。占有権限がない場合でも賃料請求権が存続するというのであれば、この場合についても、競落人による強制執行手続が完了するまでの間、旧所有者は賃料請求権を保持し続けることになる。

一〇 原判決は、賃貸借契約が解除された昭和六二年一月三一日以降も転借人が本件建物を使用し続けたことをもって、不当利得と考えたのかも知れない。しかし、転借人の使用継続は不当利得にもならない。

不当利得返還請求権は、①法律上の原因なくして他人の財産又は労務により利益を受け、②これがために他人に損失を及ぼしたる者は、③その利益の存する限度においてこれを返還する義務を負うというものである。

しかし、本件において①が存するか否かはともかく、②が存在しないことは明らかである。

被上告人と有限会社田中一商事との間の賃貸借契約は、昭和六二年一月三一日には被上告人の賃料不払いを理由として解除され、翌二月一日以降の被上告人の本件建物の占有は不法占有になっている。被上告人は本件建物の賃借権を失い、本件建物について無権限者になっているわけである。

とすれば、被上告人が、同日以降、本件建物についての利用権限も、賃貸権限も、また、賃料請求権も有するものでないことは当然のことである。

以上の通り、被上告人が本件建物を利用し、あるいは賃貸して賃料を得る……このような権限を有していなかったことは疑問のないところであり、したがって、被上告人には本件建物を利用できないことによる損失、賃貸できないことによる損失、賃料を請求できないことによる損失などという概念は存しないことになる。

転借人が、①の法律上の原因なくして他人の財産または労務により利益を受けたか否かということは、正当な権利者、つまり、有限会社田中一商事との関係で調整すればよいことである。

一一 以上、賃料債権が発生するというためには、『賃貸借契約を締結した』ということに加えて、『占有権限に基づく正当な占有を提供しなければならない』というのが、民法における賃貸借契約の正しい理解であるところ、本件転借人は、占有権限を失い、転借人に対し転貸義務を履行することができないことになったわけである。

自己が占有する権限を失い、利用権限を失ったにもかかわらず、他人をして占有利用させ、この賃料を受け取る。これが自己矛盾であることは明らかである。

原判決には、「権限を有しない場合でも賃貸借契約は有効に成立し得る」との債権的な契約の問題と、「権限を有しなければ正当な占有権限を提供するとの賃貸義務を履行することができない」との物権的な問題を区別しないとの意味において法令解釈の誤りがある。

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